序  章
(ゲーム内には含まれておりません)


若い男が山道を足早に歩いていた。

山育ちなのだろう。長めの髪を結うでもなく、濃紺の組み紐でただ

無造作にひと括りにしただけの成りからして、身なりに気を使うと

いう質ではない事が伺える。

さすがに足元だけはしっかりと脚半を巻いてはいるが、合羽を羽織

るでもなく、旅支度というには頼りない程の軽装で風を切るように

歩く様子は、山賊を警戒するでもなくいたって飄々としている。

速度は別としても、表情だけを見るならば散策でもしているといっ

た具合だ。

道の両脇を挟んで伸びた木々の間からは、道幅の半分程度の範囲で

しか日が射し込まず、男の歩く道筋に涼やかな影を落としている。

上空ではサワサワと木の葉が触れ合う柔らかい音がしていた。

その風も、ここまでは降りてはこない。

あまり使われていない道なのだろう、山に描かれたように走る道の

上には、すれ違う旅人の影すら見当たらなかった。

行けども続く山並みと、初めて辿る道筋にふと不安を覚える。

青々と繁る木の葉が光に透ける様子も、たまに聞こえる小川だろう

水音も、不吉な要素を孕みはしない。

ただ、不安を和ませるにはあまりにも静かすぎた。

出発したのは明け方、山道に入る直前茶屋で休んで以降歩き続けて

いるにしては、行き交う人は無く、山並みが途切れる事無く続いて

いるのだから、そんな違和感を覚えるのも無理はない。

昼を過ぎた頃だというのに辺りが薄暗いのに気付いた男が見上げれ

ば、刺すように照りつけていた光がいつのまにか陰っていた。

ジャリジャリと渇いた土を踏みながら、緑の壁からのぞく鈍色の空

を見上げる。

何度目かの同じ動作。

その度に重く厚くなる雲の、その合間に閃光が走るのを見て男の眉

根が寄り始める。

一日で着く予定の道のりを、まだ半分しか来ていない。

夕立…で済めばいいが…

希望を込めた呟きは、低く飛ぶ鳥達のさえずりにすらかき消される

程頼りない。

昼だというのに薄暗い空に浮かぶ、男が身に着ける布地と同じ色合

いの分厚い雲も、それを否定するかのように薄らぐ気配は無い。

無意味な予想を打ち消すように首を振り、一旦足を止めてから人里

離れた山の中に雨宿りのできそうな場所を視線で探る。

…?

濃い緑ばかりが目につく山の中、木々が乱立するように生い茂る梢

の切れ間に、それらしき色合いを見つけて目を凝らした。

こんな所に…屋敷…?

山賊の住処にしては大きな建物を見つけて、どこかの御大尽の別邸

なのだろうと考え直す。

男は気楽に考えながら、目算からして次の宿場につくよりはそう遠

くないだろうと、山道を外れた空間に足を踏み入れた。

高く繁る木立の合間に覗く、くすんだ漆喰の色を頼りに歩みを進め

歩調は小走りにまで近づく。

急がないと…

一粒くれば間を置かず土砂降りになるだろう。

雲を見ながら、簡単には降り止まないだろう様子に溜息をついた。

着くのは…明日だな

仕事の都合で一日予定の、旅路というには短く、遠出というには少

し余る道程。

急いではいたものの、そう険しくもないとはいえ豪雨の中、山道を

歩くというのは自殺行為だろう。

雨の匂いと、天上を横切る青白い光に急かされるように走り出す。

近づくにつれて外観がひどく寂れている様子が見て取れた。

高い外壁の向こうに覗く屋敷は、平屋建てなのだろう。かろうじて

屋根が見える程度で、庭木にしては育ちすぎた樹木が、まるで山と

同化するように乱立している。

随分と広いようだが、木々の間に辛うじて覗く屋根は桧皮葺に急ご

しらえで乗せたのだろう、ほとんどの瓦が剥がれ落ちていた。

男が、ようやく建て物の前に着いた頃には遠雷までが聞こえ始める。

人がいるといいんだが……

期待薄だろうとは思いながら、それでも無断で邸内に立ち入るわけ

にもいかない。

ぴたりと閉じられた門の前に立ち、どうしたものかと腕組みしてか

ら分厚い扉を何度か叩く。

しかし、返事は無い。

身の丈の倍はあるだろう塀に遮られて内部を窺う事はできないが、

これだけの荒れ様からして人がいるとは考えにくい。

………

門の隣にひっそりとある通行用の小さな木戸に手をかければ、思っ

た通り、小さく軋んだ音を立てながらあっさりとそれは開いた。

不意に雨粒が頬を掠める。

慌てて門から屋敷の軒下まで十数歩程度の距離を走って渡り、先程

より随分としっかりとした作りの観音開きを引けば、こちらはびく

ともしない。

さすがに閉まってる…か…

かといって、降り止む様子のないそれを一晩凌ぐには軒下ではあま

りに頼りない。

押したり引いたりを繰り返す今も、雨音を増して降り注ぐ水滴はあ

っという間に足元の土を含んでぬかるみ、それが跳ねる度足元を汚

していく。


 コト…


不意に小さな音が響いた。

激しく降り注ぐ雨粒の音にかき消されることも無く、それは湿った

空気を振動させて、確実に男の鼓膜を震わせる。



そうして扉は

開かれた………。